流行になったゴールデンアーチ
1979年に発生した「第二次オイルショック」により世界各国の経済は停滞を余儀なくされましたが、日本はこの危機にほとんど足をすくわれることなく成長を続けていました。アメリカの社会学者が、日本の驚異的な発展を分析した「Japan as Number One」という本を出版するほど世界が認める経済大国として躍進を遂げます。1980年代の外食産業も、人々の需要拡大を受けてさらに成長していきました。日本マクドナルドはこの時期、ドライブスルー店舗の出店を加速し、また、ファミリービジネスへの取り組みを強化。全店の年間売上高が700億円を突破し、外食産業での売上高が第1位にランキングされました。“ハンバーガーといえばマクドナルド”との認識も多くの人に広がり、利用されるお客様は若者からファミリー層へと拡大していきました。
- 1.ハンバーガーが日本の食文化に ―日本マクドナルドが外食産業売上高首位獲得―
- 2.食事風景の変化―ドライブスルーの拡大とファミリー―
- 3.手軽な朝食と初のセット商品―「ブレックファストメニュー」導入・「サンキューセット」発売―
ハンバーガーが日本の食文化に ―日本マクドナルドが外食産業売上高首位獲得―
それまで、ほとんどの日本人が知らなかったハンバーガーという食文化は、1980年代に急速に浸透しました。日本マクドナルドの上陸が大々的にメディアに取り上げられたことや、マクドナルドが銀座三越に日本第1号店をオープンした1971年前後にドムドムハンバーガー、ロッテリア、モスバーガー、明治サンテオレ、森永ラブなど日本独自のハンバーガーチェーン店が誕生し、全国に急速に広がったことによってハンバーガーは当時一大ブームに。また同時期に多くのファミリーレストランチェーン店も開業し、牛丼チェーン店の躍進とともに、外食は一つの産業として認知されていきました。“外食産業”という言葉が一般的に使われるようになったのは1970年代後半からのことです。このような外食の影響もあり、日本人の食事に欧米風のものが出てくることも日常になっていきました。1980年前後の食卓には“米、野菜、魚”に加えて“肉、牛乳・乳製品、鶏卵、油脂”が頻繁に登場するなど、日本の食生活はこの頃大きく変化したのです。
日本マクドナルドは、国内のハンバーガー業界の基礎を築いたことや、ファストフード店舗の経営方式の確立、食生活向上への寄与などが評価され、1981年に外食産業部門で農林水産大臣賞を受賞。さらに、翌1982年には全店年間売上高702億円を超え、外食産業における売上高が第一位となりました。アメリカからやってきた未知なる食べ物は、創業からわずか10年で日本人の生活にすっかりお馴染みのものになりました。
食事風景の変化―ドライブスルーの拡大とファミリー―
1980年代は4WDや2BOX、4ドアハードトップなど、ライフスタイルに合わせた様々なジャンルの乗用車が次々と登場、車の普及台数もさらに右肩上がりで加速していき、本格的なモータリゼーションへと突入していきました。そのような中、マクドナルドはドライブスルー店舗拡大へと舵をきります。そしてドライブスルーの1号店が登場した1977年当時はまだ珍しかった “超クイックサービス”が日本の外食に新たなスタイルをつくり出したのがこの時期でした。着の身着のままで、車に乗ったまま商品を購入できる手軽さと利便性が受け、出店を重ねるごとにその認知が拡がり、多くのお客様がドライブスルー店舗を利用されるようになりました。休日には家族や恋人、友達と車で観光地や繁華街へドライブ。その腹ごしらえにマクドナルドでドライブスルー、そんな風景が当たり前に。1980年初頭、ドライブスルー併設店舗はまだ全国でも14店舗で全体の1割にも満たなかったのですが、モータリゼーションの勢いに乗りその数は徐々に増えていきます。1990年末には全774店舗中344店舗、5割弱がドライブスルー併設となるなど急速に拡大していきました。
またドライブスルー併設店舗の拡大と相まって、ご家族連れのお客様が増えていきます。マクドナルドはこの時期、ファミリーに向けた取り組みをスタート。今では年間1億個以上を販売している「ハッピーセット(当時“お子さまセット”)」が誕生したのもこの頃です。ハッピーセットについてくるおもちゃは、安全性はもちろん、おもちゃとしての質も高く、お客様からも大きな評価をいただき、販売当時から大きな話題となりました。また、マクドナルドのお店の裏側を探検し、手洗いの大切さを教わったりハンバーガーを作る体験ができるマックアドベンチャー(当時“ストアツアー”)、お誕生日を友達と一緒にお祝いするバースデーパーティー、遊具施設のあるプレイランド併設店舗の出店などを展開し、ご家族連れでもお食事を楽しめるレストランへと進化したのです。
手軽な朝食と初のセット商品―「ブレックファストメニュー」導入・「サンキューセット」発売―
“24時間戦えますか?” こんなキャッチコピーと共に、栄養ドリンクのCMが放送されたのは1988年のことでした。これはまさに80年代の日本の“企業戦士”を象徴する言葉です。この頃の日本企業は高度経済成長期以上のさらなる成長を目指し、会社員は朝から晩まで働き詰め。長時間働くことは、むしろ美徳とされていました。
1985年にスタートした「ブレックファスト」は、手軽に素早く食べられることから、そんな忙しい会社員に広く受け入れられました。便利さは勿論、どの店舗でも同じメニュー、同じ価格、同じ購入方法というスタイルがお客様にとっての安心感につながり、朝の会社員が新たな客層としてマクドナルドに訪れるようになりました。また会社員だけでなく、家族一緒にマクドナルドで朝食をとる、そんなスタイルも浸透していったのです。
一方日本経済は一時的に円高不況に陥りました。1980年代に入るとアメリカは貿易赤字と財政赤字、いわゆる“双子の赤字”に苦しむという状況になりました。その原因であるドル高と貿易不均衡の是正を図るため、1985年9月22日、アメリカや日本を含む先進5ヵ国が外国為替市場に協調介入することで合意(プラザ合意)されたのです。各国はドル売りに乗り出し、1ドル240円程度だった相場は1987年には120円台にまで円高が進行し、円高不況に陥ったのです。
しかしこの円高は、日本マクドナルドにとって追い風となるものでした。食材の多くは輸入品だったため、調達面での利益が出たのです。そこで日本マクドナルドはこの差益をお客様に還元するために、バーガーとポテト、ドリンクの組み合わせを390円で発売。「サンキューセット」と名付けられたこの商品は日本マクドナルド初のセット商品であり、お得感と納得感のある価格とボリュームで人気を博し、その年の「新語・流行語大賞」の大衆賞を受賞しました。